Case Study & Interview
土地勘のない場所ながらも
連携先の病院はきっちり確保
伴野内科クリニック伴野 正枝 院長
もっと暮らしの中に医療を届けたいと開業を決意
開業前は、新宿の高層ビル内のクリニックで院長を任されていた伴野正枝医師。開業を志した理由の一つは、そんな日常業務のなかから生まれた。
「患者さんは年をとると、都心まで通うことが体力的に厳しくなります。診療するなかで、高層ビルのなかで患者さんを待つのではなく、もっとみなさんが暮らす町のなかへ医療を届けたいと思う気持ちが強くなったんです」
ちょうど出身校である大学病院へ手伝いに行く機会も増え、勤務医という立場に時間的な制限を感じはじめてもいた。
とはいえ伴野医師の頭のなかに、はっきりと開業に向けたビジョンが描かれていたわけではない。母親の介護もあったため、当初は勤務医を辞めアルバイト的な仕事をしながら時間をつくっていこうと考えていたという。「周囲の勧めもあって、開業も一つの選択肢かなと具体的に思い始めたのは仕事を辞めてからでした。勤務医時代から綿密な計画を立てていたわけではなかったのです」と伴野医師。
そんな矢先に出会ったのが、メディットの開業サポートサービスだった。ちなみにメディットとは、伴野医師の先輩医師がメディットの説明会に参加した際、"ついで"に伴野医師の名前を登録したことがきっかけで、付き合が始まった。
「自分のやりたい医療ができると思い開業を決意したのですが、準備も計画も十分ではなかっただけにメディットのサポートがなければ実現できませんでした(笑)」と伴野医師は振り返る。
人脈を頼りに連携先の病院を確保
五反田駅から私鉄に乗り換え14分、新宿の高層ビル街とは打って変わって地元の商店が建ち並ぶ一角に、伴野内科クリニックは門を構える。もちろん開業地はメディットからの紹介だ。駅からクリニックまでは徒歩2分の至便さだが、向かう途中、早くも開業医院の多いことに気づく。伴野医師の自宅から近いというわけでもないという。この土地を選択した決め手はなんだったのだろうか。
「自宅近辺というのは、必ずしも自分のなかで優先すべき条件ではありませんでした。それよりも、都心から少し離れても構わないので、みなさんが普通に生活している地域がよかったんです」と、伴野医師。しかし、土地勘のない場所に新しくクリニックを構えることは不安ではなかったのだろうか。
「それは不安でしたよ。何より、患者さんを紹介できる連携病院が近くにないのは困るなと。でも落ち着いてよく考えてみると、近くの都立荏原病院とNTT関東病院の消化器や循環器には、出身大である女子医大の先生が行っていることに思い当たりました。だったら応援いただけるだろうと踏んだのです」
伴野医師の中学の同級生で東邦大学出身の医師が、週2回ほど手伝ってくれるようになったことも心強い支えとなった。これにより、近くの東邦大学大森病院にも協力を取り付けやすくなる。
だが、連携先はクリアできても、競合が多い土地でやっていける自信はあったのだろうか。
患者第一の医療をしていれば自然と患者はついてくる
開業して2年。当初の診療圏調査では、開業直後は15名程度、半年で45名程度と出たものの、フタを開けてみれば開業2、3ヵ月後には予想以上に患者数が上回り、経営は順調だ。伴野医師を慕って、勤務医時代からの患者も遠くは青森から訪れてくれる。
「でも、医は決して算術ではありません。もちろん患者さんがいらしてくれないことには成り立たないし、ある程度の患者数は医師としての自信にもつながりますが、私は営利目的でやっているわけではありません」と伴野医師は主張する。
現在、伴野内科クリニックでは、セカンドオピニオン外来や禁煙外来なども開設しているが、これらも集患効果を狙ったものではない。「禁煙外来はライフワークのようなもの。患者さんのためになることを広めていきたいという思いでやっていることです」
伴野医師が開業したあとも開業ラッシュが続くこの地だが、開業前に比べると、今はまったく気にならないという。
「医者が患者さんを選ぶのではなく、患者さんが医者を選ぶ時代。自分がいい医療を提供していれば、どんな場所であっても自然と患者さんはついてくるもの」と伴野医師は自信の伴った口調で語る。
取材中、伴野医師は「医療は決して医師一人でできるものではありませんから」と何度も口にしていた。だからこそ、連携先の確保にも敏感になった。自分一人では限界があることをわきまえ、医師、看護師、事務スタッフらと常に連携をとりながら、少しでも患者さんに楽になって帰ってもらいたい――。伴野医師は最後にこうモットーを語ってくれたが、それがそのまま診療姿勢に現れているように感じた。